
沿革
当社は天暦2年(西暦948年3月中日)現在の滋賀県比叡山坂本に鎮座される日吉大社の御分霊を勧進し創建されました。
故に日吉大社を遥拝する神社として比叡宮と称したと伝わります。
始めは小田村の西隅に社殿が在り、後に村の中央に遷座されたと云われます。旧境内地には有名な銀杏の神木があって大正時代まで残っていたとのことです。
江戸幕府の頃、御朱印地拾石で隣村の下新田村(現浅田町)、菅沢村(現横浜市鶴見区菅沢町)等の総鎮守でした。例大祭は旧暦4月中の申(さる)の日、神輿渡御の際は村内旧家12人がいずれも馬に乗り警固供奉して3ヶ村を巡幸しました。その行列はすこぶる古風を極めたものといわれます。明治維新までは当社の向かいの真言宗円能院が別当職でした。
明治6年12月(1873年)、村社に列せられ社号も日枝大神社と改められました。
大祭日は5月15日、現在は5月第3日曜日と定められています。
明治42年3月14日(1909年)
浅間神社、杉山神社、神明社、下新田稲荷神社等を合祀
大正10年4月4日(1921年)
神饌幣帛料供進する神社に指定される
昭和20年4月15日(1945年)
太平洋戦争の戦禍により氏子の9割と共に大空襲の下で本殿焼失
昭和24年5月14日(1949年)
本殿再建。翌年、仮拝殿と仮社務所建設
昭和27年5月14日(1952年)
神楽殿再建
昭和31年4月15日(1956年)
現在の御社殿を復興
昭和37年4月15日(1962年)
社務所完成
昭和45年2月7日(1970年)
放火により神楽殿全焼。同年5月に再建
昭和57年4月15日(1982年)
宮神輿並びに神輿庫再建 翌月の大祭にて40年ぶりに宮神輿巡幸
平成3年3月31日(1991年)
参集殿兼社務所等竣工
平成10年5月16日(1998年)
御鎮座1050年記念大祭斎行、本殿改修並に日枝音頭・踊り誕生
※日枝音頭に関しては祭事のページをご覧ください。
境内の御案内

社標
明治100年を記念して昭和44年5月(1969年)に建てられました。

大鳥居
大正15年11月(1926年)に再建されました。
大鳥居の扁額は当時の内務大臣鈴木喜三郎氏の書です。

水屋
現存するもので一番古いものがこの水石です。
今から280年ほど前のものと考えられています。
この水石は海石で、1734年(享保19年)に氏子により奉納されたものです。

参集殿
社務所と授与所が併設されています。
平成3年(1991年)に建てられました。

御社殿
太平洋戦争の戦禍により焼失した御社殿は昭和31年(1956年)に復興されました。
扁額は当時の内閣総理大臣鳩山一郎氏の書です。
昭和31年(1956年)、第3次鳩山内閣の任期中に書かれました。
友愛守の誕生
「友愛」は鳩山一郎氏が大切にされていた言葉です。御守袋の裏の社名は扁額の字を織り込んでいます。

末社
八王子社、稲荷神社、浅間神社、神明社、大鷲神社が合祀されています。

旧鳥居と力石
旧鳥居は宝暦6年(1756年)に建てられ、安山岩製のもので伊豆石あるいは小松石と思われ川崎周辺でも数少ない立派なものでした。
この旧鳥居は大正12年(1923年)の関東大震災により倒壊。その後大正15年(1926年)に現在の御影石の鳥居が再建されました。
川崎市域で確認されているものの中では最古のものです。(1996年調査時)
力石は寺社でよくみかけるもので祭礼のときなど近郷近在の若者が寄り集まって力比べをした石です。石を持ち上げさし上げると、そこに名前・重さ・年号を刻み改めて神社に奉納されたものと思われます。
これら力石の中には元禄15年の銘があり、これは川崎市で最古の力石となります。

神楽殿
毎年例大祭には郷神楽が御奉納されます。
節分祭とぼんぼり祭りの際にも使用されます。